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同じものを見ても

和蘭西鶴朝井まかてさんの本を読了しました。井原西鶴を、その娘(盲目)から見て描いた作品です。

俳諧師として名を馳せながら、本流に乗れず、和蘭陀流(異端派)と自ら言い捨てて、俳諧の業績を上げていくが、やがて俳諧の世界とは別に、草子の方に力を入れていく西鶴。「好色一代男」を皮切りに、どんどんと筆を進め、やがて歌舞伎台本や浄瑠璃台本まで手を伸ばすことになります。

著者は作品の中で、「好色五人女」を書いた西鶴の元へ、近松門左衛門がその一部の話を元に浄瑠璃に仕立てたいと、断りを入れに訪ねてくるシーンを書いています。

好色五人女」は、当時の市井の事件を元に小説に仕立てたもの。作者は西鶴に、自分は事件の中におかしみを描くが、近松は同じものを見てもそれを美しいと捉えるのだなと、言わせるのです。

この本にはいろいろと印象深いシーンがいっぱいあるのだけれど、特にこのシーンは、自分の身につまされるというか、なんというか。w

どちらかというと、私も近松よりは西鶴のように、事件の中に妙味を見て面白がるところがあって。

人によっては、それをかなりふざけていて、けしからん!と怒っている人もいるかもしれないなぁ、とぼんやりと思ったのでした。

真面目な人はね、きっと。

同じものを見ても、切り取る世界や受け取る世界は違って、この本を読んで、いろいろとまぜっ返す性格をしてるなと自分のことを思ってはいたけれど、西鶴の切り取る世界と同じ感じなのかもなぁと思ったりもして。

かといって、別に困ってはいないのだけどね。特に印象深かったんですな。

今は、先日読んだ「無敵のソクラテス」で紹介されていた「子どものための哲学」(永井均)を読んでます。

どの子どもが読むんじゃいっ!と思うほど、頭が混乱してくる話なのですが、最終的には、子どもの時に持った疑問を考え続けよう!のひと言になるのかもしれません。w

まぁ、まだ半分の読了なので、読み終わったら、感想など。